『ビブリオテーケー』[1][2](希: Βιβλιοθήκη)または『ビブリオテカ』[3](羅: Bibliotheca)は、9世紀ビザンツ帝国のフォティオスの著作。
ギリシア古典数百冊の解題や書評からなる、読書録・図書目録のような書物。佚書の情報を多く含むため、西洋古典学の重要資料となっている。
題名
「文庫」を意味する『ビブリオテーケー』『ビブリオテカ』という題名は、16世紀のラテン語伝本が後付した題名である[5]。14世紀のギリシア語伝本では『千巻書』(希: Μυριόβιβλος)とも題された[5]。
本来の題名は、『わたしが読んだ書物の目録と列挙。それらの書物について最愛の弟タラシオスが要約をもとめた。二七九巻』[2]、または『私が読んだ書物の目録と列挙。それらの書物について私の最愛の弟タラシオスが要約を求めた。三百に二十と一欠ける』[5]とされる。
成立背景
フォティオスは、ビザンツの尚書局長官などを務めた官僚・知識人であり、コンスタンティノープル総主教を務めた聖人でもある[6]。
本書の成立時期は、彼が総主教となる前の845年ごろ、アッバース朝バグダードに使節団員として派遣されたときである[7]。出発直前に書かれたとする説もあれば[5][3]、バグダードで書かれたとする説もある[7]。
本書の序跋によれば、出発前に弟のタラシオス(Tarasios)が、これまで読んだ書物の紹介を書くようフォティオスに求めた[5]。そのため本書はタラシオスに宛てて書かれている[5][1]。執筆方法は、秘書を利用した口述筆記や読書ノートの転写だった[8]。
当時の学問の課題は、ビザンツ暗黒時代に忘れられた古典の発見と蒐集であり、本書はその課題に応じたものでもあった[8]。本書は10世紀の「マケドニア朝ルネサンス」の開幕を助け[9]、フォティオスの弟子のアレタスの蒐書活動や[10]、善本の多産[9]、百科事典『スーダ』にその精神が継承された[9]。
内容
約280項目からなり、約200人の約380冊を紹介している[3]。項目の順番に規則はなく、聖俗・異教の書物を平等に紹介している[11]。分野や時代も様々だが[3]、教会史を含む歴史書や[12][7][3][11]、第二次ソフィスト期の書物が特に多く[12]、詩は少ない[11][7]。聖書・ホメロス・プラトンなど、当時紹介するまでもなかった書物は載っていない[12][3]。
項目によって紹介の形式が異なる[3][12]。基本的には「~を読んだ」というフレーズで始まり[12]、著者・巻数・目次・要約・抜粋・写本情報・文体批評(アッティカ方言[11]・イオニア方言[12]などについて)を載せる[12]。長短にも差があり、一行程度で終わる項目もあれば、数十ページに及ぶ項目もある[12][11]。本書にほぼ全編が抜粋されたおかげで伝わる書物もある[1]。
ヘロドトス『歴史』を、ギリシア史でなくペルシア帝国史として読んでおり[3][13]、当時のビザンツ人の東方中心的な帝国交替史観が窺える[13]。
主な収録書一覧
関連項目
脚注
参考文献
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