紀州東照宮
和歌山市の神社 ウィキペディアから
和歌山市の神社 ウィキペディアから
紀州東照宮(きしゅうとうしょうぐう)は、和歌山県和歌山市和歌浦西にある神社。旧社格は県社。江戸幕府初代将軍の徳川家康(東照大権現)と紀州藩初代藩主・徳川頼宣(南龍大神)を祀る。
東照宮は雑賀山に位置する。雑賀山は和歌浦湾の入り江を眼下に納め、右手には天橋立のような片男波の砂嘴が延び、左手には北岸をみるまさに「扇の要」の位置である。西には和歌浦天満宮が、東には玉津島神社が位置する。
元和5年(1619年)、徳川家康の十男である徳川頼宣は紀州藩主になると、南海道の総鎮護として東照大権現を祀る東照社の建立を計画し、同年のうちに社殿が起工されると、元和7年(1621年)に完成した。
本殿には左甚五郎の作といわれている彫刻や、狩野探幽作の壁画があり豪華な造りである。関西の日光とも称された。『紀伊続風土記』によれば、境内は方八町で、宮山周囲50町余りであった。
別当寺として天台宗の天曜寺も建立され、天海大僧正が初代別当に就任している。
祭神は当初は東照大権現のみであったが、後に徳川頼宣も合祀されている。
明治時代になると神仏分離と廃仏毀釈により天曜寺は廃寺となったが、東照宮は県社に列せられている。
東照宮の例祭は、元和8年(1622年)に趣向を凝らした絢爛豪華な風流(ふりゅう)の祭りとして創始されているが、江戸時代には、国中第一の大祭であり諸国から多数の見物人がきたという。明治以降も和歌祭と呼ばれて大勢の観衆を集め、親しまれた。近年復興されている。
鬱蒼とした木々に囲まれた東照宮参道は青石が敷き詰められ、両側は低い石垣で区切られる。鍵の手で折れ曲がると、急勾配の108段の石段にたどり着く。参道と石段の両側には、家臣団が寄進した石灯籠が並ぶ。
高台の南端には楼門が南面し、その両脇に東西回廊が建つ。高さ約2mの石垣により一段高くなった社地北側には、唐門と瑞垣(みずがき)、その奥には正面に拝殿・石の間・本殿を一つの建物にまとめた権現造りの社殿が建つ。かつては社殿の右に三重塔、左に薬師堂があった。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.