名塩地区
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六甲山地の東麓にあたる。地区の大部分が山地であり、南北の山塊の間を縫うように名塩川が西から東へ流れ、その流域沿いに東久保・名塩・木之元の各集落が形成されている。地区の縁に沿って北から東側へと武庫川が流れる。名塩川は木之元付近で武庫川に合流する。
山をはさんで、南に塩瀬町生瀬、南西に山口町船坂、西に山口町下山口、北西に神戸市北区道場町生野とそれぞれ接する。武庫川をはさんで、北に宝塚市玉瀬、東に宝塚市切畑と川面、南東に生瀬地区の青葉台とそれぞれ接する。
室町時代の1475年(文明7年)、越前吉崎から河内出口へ向かっていた蓮如が村民に請われて名塩を訪れ道場を設けた。これが後に教行寺(名塩御坊)となり、名塩は寺内町として発展する。
名塩の豊富な山林資源を用いた名塩雁皮紙は耐久性があることから重宝され、江戸時代には「名塩千軒」と称されるほど紙漉業が盛んになった。明治・大正期にも住民の多くが製紙業に従事していたとされているが、第2次大戦後は和紙の需要が激減し、現在では数件のみが従事している。
明治期に現在の国道176号にあたる道路が整備され、1924年(大正13年)には宝塚との間にバスが開通する。1975年(昭和50年)には中国自動車道の宝塚IC - 西宮北IC間が開通する。現在も国道176号バイパス「名塩道路」の整備が進められており、2024年にはその一部である生瀬トンネルの供用が開始された。
高度経済成長期以降は山林開発も進められた。1961年によみうりカントリークラブが開業。時を同じくして新興住宅地が複数開発されている。1986年に福知山線の線路付け替えにより西宮名塩駅が開業。1991年に西宮名塩ニュータウンの「街開き」が行われた。
地区北端の武庫川沿いには武田尾温泉がある。1641年(寛永18年)に名塩村の武田尾直蔵が薪拾いの際に見つけたとされる。人家から離れた渓谷沿いにあることから、たどり着くには不便を強いられた。1899年(明治32年)に阪鶴鉄道(のちの福知山線)の武田尾駅が開設されると利用客で賑わった。しかし2024年現在、利用できる温泉施設は実質的に宝塚市側の1軒のみになっている。
現行行政地名と郵便番号は次の通り。丁目は省略した。[1]
名塩赤坂、名塩美山は西宮市立北六甲台小学校および西宮市立山口中学校の通学区域となる[2]。