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同志社グリークラブ(どうししゃグリークラブ)は、同志社大学の学生により構成される1904年設立の男声合唱団である。重厚な歌声に定評がある[1][2]。かつては関西学院グリークラブとともに学生合唱コンクールの常連優勝クラブであった[3]。
1904年(明治37年)、聖歌隊として発足した。1911年、片桐哲が合唱団を改革統一し、同志社グリークラブと称した[4]。
1935年(昭和10年)、創立60周年記念で、およそ3時間に及ぶ53曲から成るヘンデル作曲の「メサイア」の通し演奏を日本で初めて行った。初演会場となった栄光館(1932年完成)は、国の登録文化財となっている。英語が禁止された戦時下の1940年、神学部講師の森本芳雄が歌詞を日本語訳し、中止を逃れた。戦後の混乱期であった1946年に第3回のメサイア演奏会を実施した。1957年から1964年は人材難から中断されたが、その後復活、年の締めくくりに演奏会を行っている[5]。
1974年(昭和49年)長井賞受賞。同賞の第1号受賞者となった。その後2005年(平成17年)にも再度同賞を受賞した。
同志社大学の創設者、新島襄生誕150年にあたる1993年(平成5年)には、学生、OBら約220人が新島が若き日に学んだアメリカのアーモスト大学を訪問した[6]。
2011年に開校した同志社国際学院初等部・国際部の開校式では、小椋佳作曲の校歌を披露した[7]。
全日本合唱コンクール全国大会には1948年(昭和23年)の第1回から出場していて、第10回(1957年)までに優勝3回。その後長くコンクールに出場しない時代が続いたが、2000年代に入り再度出場、6度の全国大会出場を果たしている[8]。
「合唱名曲コレクション」シリーズの発売元は東芝EMI。
名指揮者を輩出しており、浅井敬壹は、1963年にアマチュア合唱団「京都エコー」を設立、1999年に、全日本合唱コンクールで20年連続金賞という金字塔を樹立している[9]。
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