十七条藩ウィキペディア フリーな encyclopedia 十七条藩(じゅうしちじょうはん)は、美濃国本巣郡十七条(現在の岐阜県瑞穂市十七条)などを領地として、江戸時代初期に存在した藩。1607年、稲葉正成が1万石の知行地を与えられて成立。1618年に正成が松平忠昌(越後高田藩主)の御附家老として越後糸魚川に移ったため廃藩となった。 ただし、稲葉正成が実際に十七条を知行していたかには疑義も呈されている。この藩は「本江藩」[注釈 1]と記されることもあり、羽栗郡本郷(現在の岐阜県羽島市福寿町本郷)の本郷城を居城とみなして本郷藩(ほんごうはん)と称されることがある[3]。
十七条藩(じゅうしちじょうはん)は、美濃国本巣郡十七条(現在の岐阜県瑞穂市十七条)などを領地として、江戸時代初期に存在した藩。1607年、稲葉正成が1万石の知行地を与えられて成立。1618年に正成が松平忠昌(越後高田藩主)の御附家老として越後糸魚川に移ったため廃藩となった。 ただし、稲葉正成が実際に十七条を知行していたかには疑義も呈されている。この藩は「本江藩」[注釈 1]と記されることもあり、羽栗郡本郷(現在の岐阜県羽島市福寿町本郷)の本郷城を居城とみなして本郷藩(ほんごうはん)と称されることがある[3]。