北畠親子
鎌倉時代後期、京極派の歌人。伏見天皇の典侍・従三位。子に尊悟入道親王(1299-1359、第六皇子)。 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
北畠 親子(きたばたけ しんし/ちかこ)は、鎌倉時代後期の京極派の歌人。伏見天皇の典侍で側室。『神皇正統記』を著した北畠親房の義理の姉。
概要 北畠親子, 続柄 ...
北畠親子 | |
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続柄 | 伏見天皇側室 |
身位 | 従三位 |
出生 |
不明(源具氏が薨去する建治元年9月14日(1275年10月4日)以前) |
死去 |
不明(伏見崩御の文保元年9月3日(1317年10月8日)以降) |
配偶者 | 伏見天皇 |
子女 | 尊悟入道親王 |
家名 | 村上源氏中院家庶流北畠家 |
父親 | 源具氏、北畠師親 |
役職 | 伏見天皇典侍 |
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夫の伏見天皇や伏見正室の永福門院の庇護のもと京極為兼らによって開かれた文学サロンで、京極派の有力歌人として大きく活躍した。『新後撰和歌集』以下の勅撰和歌集に53首が入集[1]。私家集は『権大納言典侍集』。
なお、かつては後醍醐天皇の側室で征夷大将軍護良親王の母である「民部卿三位」という人物を親子に当てるのが定説だったが、21世紀初頭時点でほぼ否定されている[注釈 1]。