内記稔夫
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内記 稔夫(ないき としお、1937年9月23日[1] - 2012年6月1日)は、日本の漫画蒐集家、現代マンガ図書館の設立者。
東京神田生まれ[2]。小学5年生のとき手塚治虫の『ロストワールド』をきっかけに漫画に没頭し[3]、中学時代には少年誌に投稿・入選して漫画家を志した[3]。1955年、戸山高等学校[2]3年生[4]の時に貸本屋「山吹文庫」を開業し[2][5]、その貸本に供された蔵書を元にして[5]1978年に「現代マンガ図書館」を設立、館長となった[3][6]。その後は私財を投じて図書館の運営と新旧の漫画蒐集に努め[3][7]、同館を他に類を見ない専門図書館へと育てた[3][8]。1997年、同館の設立と運営に対し第一回手塚治虫文化賞特別賞が贈られた[2][4][6][9]。
1995年より全国貸本組合連合会理事長[2]。2001年より日本マンガ学会理事となり[2]、同学会の設立と発展に大きな役割を果たした[9]。また米沢嘉博記念図書館の創立・運営に協力し[6]、2009年には東京国際マンガ図書館(仮称)設立に向けて現代マンガ図書館の蔵書約18万点を明治大学に寄贈し、引き続きその運用にあたった[6]。
2012年6月1日、肺炎により東京にて74歳で死去した[8]。夏目房之介は内記の訃報に触れ、その人柄を「内記さんは、江戸っ子らしい気風の素敵な方だった。よく会場を手配してくれたマンガ史研究会では、いつも分け隔てない態度で若い人たちにも接し、気さくに何でも話してくれた。」と評した[7]。