Loading AI tools
日本の元女優 ウィキペディアから
光 喜三子(ひかり きみこ、1912年 - 1977年)は、日本の元女優である[1][2][3]。本名は大田 きみ(おおた - )[1][2]。戦前を代表する二枚目俳優高田稔の妻として知られる。
1912年(明治45年/大正元年)、千葉県木更津市に生まれる[1][2][3]。青山女学校(現在の青山学院女子短期大学)で2年間英語を学んだのち、二代目市川猿之助に弟子入りする[1][2][3]。
1930年(昭和5年)、松竹蒲田撮影所に入社[1][2][3]。光り輝く美貌から光喜三子という芸名が付けられ、同年9月、島津保次郎監督映画『ザッツ・オーケー いゝのね誓ってね』のヒロインに抜擢されて映画デビューを果たし、その美貌を強烈に印象付けた[1][2][3]。1931年(昭和6年)1月には早くも準幹部となる[1][3]。以後、五所平之助監督映画『女給哀史』や野村芳亭監督映画『燃ゆる花びら』などに準主役として出演していたが、後に共演した高田稔と恋愛し、撮影所を休みがちとなる[1][2][3]。
同年8月、五所監督による日本初のトーキー映画『マダムと女房』で渡部篤演じる劇作家の妻という大役を得て出演していたが、撮影半ばで姿を見せなかったため、五所は急遽、田中絹代に依頼して代役を立ってもらい、撮り直しの末完成させた[1][3]。その後も光は蒲田撮影所に在籍していたが、1932年に退社[1][3]。不二映画社を経て新興キネマに入社するが、1933年に高田と結婚し、芸能界を引退した[1][2][3]。ただし、日本映画データベースからは、不二映画社、新興キネマ両社の出演作品を確認する事が出来ない。
全て製作は「松竹蒲田撮影所」、配給は「松竹」、特筆以外は全てサイレント映画である。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.