俊恭院(しゅんきょういん、1820年12月23日(文政3年11月18日) - 1840年10月26日(天保11年10月2日)[1])は、江戸時代後期の女性。尾張藩第11代藩主・徳川斉温の継室(御簾中)。父は鷹司政煕。養父は近衛基前。実名は福姫(さちぎみ)。近衛定子とも。
生涯
関白・鷹司政煕の娘として生まれ、左大臣・近衛基前の養女となる。その後、前妻である琮樹院と死別した尾張藩第11代藩主・徳川斉温の継室となるが、斉温との間に子供はできなかった[2]。1839年(天保10年)、斉温が死去すると落飾し俊恭院と号した。
1840年(天保11年)、死去。享年21。また愛知県名古屋市の徳川美術館には俊恭院の婚礼調度である「菊折枝蒔絵調度」が展示されている[3]。公家と武家を代表する名家同士の婚礼の総費用は5万両であったと伝わる[4]。
脚注
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