伊達発電所
ウィキペディアから
ウィキペディアから
高度経済成長を背景とした電力需要の急増に対応すべく、従来の水力発電や内陸の石炭火力発電に代わる海岸部への重油専焼の火力発電所として建設を計画[1]。
1978年11月に1号機が運転を開始、2号機までが建設された。燃料である重油は室蘭市にあるENEOS室蘭事業所よりパイプラインによって輸送されている。
本発電所敷地内には、北海道電力初の太陽光発電所である「伊達ソーラー発電所」が建設され、2011年6月2日に運転を開始した。
伊達発電所建設に際しては反対運動があり、発電容量を当初計画の25万kW1基から35万kW2基に変更した事を期に漁業資源への影響やや大気汚染への懸念が高まり1970年9月に反対派団体が結成され[1]、その後反対派住民による差止め訴訟が提起された[10]。また、建設遅れに伴う電力不足で1976-77年に二年連続で負荷調整を要請することとなった[1]。
反対派は三里塚芝山連合空港反対同盟とも交流していた[11]。
建設反対運動を受けて1970年11月には北電社内に公害対策委員会を設け公害対策の総合調整を行い[1]、1971年1月には伊達町からの大気汚染への懸念・温排水への懸念・環境影響の調査の有無についての回答が要請され当初は燃料硫黄率2.0%・煙突高さ120-130mを想定していたものの合意に至らず[12]、6月には伊達町からの問題解決への要請に対し「燃料含有硫黄率1.7%・煙突高さ200m・排煙脱硫装置建設用地と原油生炊き設備の確保」「重油のパイプラインによる輸送・排水と海水の温度差夏5℃・冬7℃程度」「補完的調査の継続」「公害防止協定の締結」の条件を回答しこのうち硫黄率は国内での調達が困難な低さとなっていた[1]。
1972年5月に漁協との漁業補償覚書を締結、7月に伊達市と公害防止協定を締結。一方で地元反対派は同月に全国で初となる環境権を根拠とした建設禁止訴訟を提起し[1]、122名の原告団を組織し三次に渡る提訴を行った[12]。11月に発電所設置許可が得られ1973年4月より着工し建設には反対派の実力行使もあり機動隊を動員しての厳重な警戒も行われ、1980年10月に建設反対訴訟も北電の全面勝訴で結審した[1]。
敗訴後の原告団メンバーは環境権の維持や向上を訴え続け、1997年には伊達市の環境条例や環境基本計画の制定に向けた環境市民会議にて発電所反対運動の主要メンバーが参加し中心者が市民会議座長となり、1999年4月に「伊達市環境基本条例」として施行された[3]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.