伊勢貞国
政所執事 ウィキペディアから
政所執事 ウィキペディアから
伊勢 貞国(いせ さだくに)は、室町時代の室町幕府政所執事。諱は貞慶とも。父は伊勢貞行(兄とされる伊勢貞経とも)[2]、母は信州木曾の娘。兄の貞経の養嗣子となった。子に貞親、貞藤、娘(伊勢盛定室)。外孫に北川殿(今川義忠室)、伊勢宗瑞(北条早雲)。
永享3年(1431年)に兄貞経が6代将軍・足利義教によって失脚させられると、後を継いで政所執事となった。
永享6年(1434年)2月9日、義教の嫡男義勝が生まれると、3月3日に義勝を屋敷に移した。
嘉吉元年(1441年)6月24日、嘉吉の変で義教が殺害され、26日に7代将軍となった義勝が室町殿に移されるまで義勝を預かっていた。
また、幼少の義勝に代わり政治を取り仕切る管領細川持之を支持、文安5年(1448年)に細川持常と共に赤松則尚の復帰を8代将軍足利義政に取り次いだりもしている。
享徳3年(1454年)5月27日、死去。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.