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評論家、翻訳家 ウィキペディアから
井上 良夫(いのうえ よしお、1908年9月3日 - 1945年4月25日)は、日本の探偵小説評論家、翻訳家。 1930年代のいわゆる「本格ミステリの黄金時代」の海外作品を、日本に多数紹介した。戦前における最もすぐれた探偵小説評論家といわれる[1]。
1908年(明治41年)9月3日、福岡県若松市(現・北九州市)に生まれる[2]。
1926年(大正15年)、愛知県立熱田中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)卒業。名古屋高等商業学校(現・名古屋大学経済学部)に進学し、1930年(昭和5年)に卒業。バス会社に入社するが、名古屋市営バスと併合されて解散になったため、1937年(昭和12年)から名古屋市立白鳥尋常高等小学校(現・名古屋市立白鳥小学校)教員、1941年(昭和16年)から名古屋女子商業学校(現・名古屋経済大学市邨中学校・高等学校)教師(英語担当)[2]。
学生時代から原書にあたって英米の「黄金時代」の探偵小説に親しむ[3]。『探偵小説』(博文館)1932年(昭和7年)1月号に掲載されたクロフツ、森下雨村訳『樽』の翻訳作業を手伝い、その縁で、1933年(昭和8年)5月に創刊された探偵小説専門誌『ぷろふいる』に、雨村の推薦で評論を寄稿するようになる。第4号に掲載された「名探偵を葬れ!」が探偵論壇へのデビュー作で、第5号から「英米探偵小説のプロフィル」を連載、海外の未翻訳作品を次々と紹介した[4]。1935年(昭和10年)はじめごろから江戸川乱歩と文通を始める[5]。
1935年、柳香書院から乱歩と雨村の共同編集による『世界探偵名作全集』が企画されると、収録書の選定に協力し、自らもイーデン・フィルポッツ『赤毛のレドメイン一家』、ロナルド・ノックス『陸橋殺人事件』を翻訳している。ただし、この全集は1936年(昭和11年)までに5冊を出しただけで中絶した[6]。以後、翻訳家としてもクロフツ『ポンスン事件』、ブッシュ『完全殺人事件』、バーナビイ・ロス『Yの悲劇』などを次々と刊行している[7]。
1942年、フィルポッツ『闇からの声』の翻訳を、乱歩の助力で刊行[8]。これが生前最後の翻訳書となった。
1945年(昭和20年)4月25日、肺結核のため死去[9]。乱歩は、1951年(昭和26年)刊行の評論集『幻影城』の献辞を、井上に捧げている[10]。
評論集は戦前にぷろふいる社、戦後に新探偵小説社によって企画されたが、いずれも実現せず、没後49年目の1994年になって国書刊行会から、「英米探偵小説のプロフィル」「傑作探偵小説吟味」「作家論と名著解説」など主要な評論を収めた『探偵小説のプロフィル』が刊行された[11]。また、戦争中に江戸川乱歩と続けられた、乱歩のいうところの「英米探偵小説の読後感や探偵小説本質論について」の「非常識なほど長い手紙のやりとり」(『幻影城』献辞)[10]は、戦後に中島河太郎が個人誌『黄色の部屋』上で乱歩の許可を得て発表(第5号 - 第12号、1951年8月 - 1954年9月)[12]、その後、「探偵小説論争」と題して『江戸川乱歩全集』第22巻『わが夢と真実』(講談社、1979年)[13]、『江戸川乱歩推理文庫』第64巻『書簡 対談 座談』(講談社、1989年)[14]に収録された[3]。
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