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鎌倉時代中期の廷臣、歌人、公卿。久我通光の次男。正二位・大納言右近衛大将。勅撰集『続後撰和歌集』以下に7首入集。久我家7代。子に忠勝。 ウィキペディアから
久我 通忠(こが みちただ)は、鎌倉時代中期の公卿。太政大臣・久我通光の次男。官位は正二位大納言右近衛大将。久我右大将と号す。
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って。
父通光が後室として三条(西蓮)を迎え、所領を三条に任せる旨の置文を残したため、所領争いに直面する事になった。通忠の母は藤原範光の娘・督典侍は、通光の生母・藤原範子の姪にあたるため、祖父・源通親の指示に基づく婚姻関係だと推測できる。雅光の生母が三条だとすると、承久の乱後に通光は我意によって三条を後室として迎えた可能性が高い。そうした中で通忠は継母との争いをする事になり、同時に通親の子らが順次亡くなり、村上源氏一門の他家の進出にも直面する中で早世してしまうのである。
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