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日本の律令制においての八省のひとつ ウィキペディアから
中務省(なかつかさしょう)は、律令制における八省のひとつ。和名は「なかのまつりごとのつかさ」。唐名は中書省など。「中」は禁中の意。
天皇の補佐や詔勅の宣下、叙位など朝廷に関する職務全般を担ったことから、八省の中でも最重要の省とされた(一説には大宝律令以前は宮内省とともに六省の上にあったという)。
長官である中務卿は他省の卿より高い正四位上相当とされ、平安時代以降はもっぱら四品以上の親王を遇する地位となり、欠員が生じても適当な親王が出るまでは空席とされた。平安中期の康平4年(1061年)に敦貞親王が薨去してから鎌倉時代中期の文永2年(1265年)に宗尊親王(鎌倉幕府将軍)が任じられるまで、あるいは実質の伴うものとしては鎌倉末期の徳治2年(1307年)に尊治親王(後の後醍醐天皇)が任じられるまで、200年以上にわたって空席だった[1]。
詔勅の施行から後宮女官の人事まで朝廷の事務一般を扱うために職掌が広く、輔(すけ)・丞(じょう)・録(さかん)の四等官(他の八省の四等官と比較して官位相当は一段高い)があるほか、品官として、天皇に近侍する侍従、宮中の警備・雑役及び行幸の際の警護役である内舎人、詔勅・宣命及び位記を作成する内記、大蔵省や内蔵寮等の出納を監察する監物、駅鈴や伝符の出納を行う主鈴や典鑰が属した。なお、天皇の側近たる侍従及び天皇の警護を行う内舎人は帯剣することを義務付けられていた。
本省の大輔以下の官人の定員は以下のとおりである。
註:大輔と少輔には後に権官も置かれた
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