下総国分寺
千葉県市川市にある寺院 ウィキペディアから
千葉県市川市にある寺院 ウィキペディアから
下総国分寺(しもうさこくぶんじ)は、千葉県市川市にある真言宗豊山派の寺院。山号は国分山。本尊は薬師如来。
国分寺 | |
---|---|
南大門 | |
所在地 | 千葉県市川市国分3丁目20-1 |
位置 | 北緯35度44分38.91秒 東経139度54分59.47秒 |
山号 | 国分山 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 薬師如来 |
法人番号 | 1040005004157 |
奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、下総国国分寺の後継寺院にあたる。本項では現寺院とともに、創建当時の史跡である下総国分寺跡・下総国分尼寺跡(ともに国の史跡)についても解説する。
市川市北西部、国府台の南端に所在する。創建時の国分寺跡地に重複して位置し、同寺の法燈を継承すると伝える[1]。かつては「金光明寺」と号していたという[1]。
建久年間(1190-1199年)、寛元元年(1243年)、文永年間(1264-1275年)には、下総国分寺の寺領を指すとみられる史料が残されている[1]。しかしながら戦国時代の2度の国府台合戦や数度の火災によって詳細な文献は失われており、変遷は不明である[1]。
国分寺跡の伽藍は現在の国分寺と重複する位置にあり、金堂跡は現在の本堂の場所にあたる。金堂と塔が東西に並ぶ法隆寺式伽藍配置である。ただし、塔は西に、金堂・講堂は東に傾いており、堂塔の向きは一定ではない[6]。
一帯は須和田遺跡や国府跡推定地が残り、古くから文化的中心地であった。僧寺・尼寺とも変遷は明らかでないが、9世紀代は充実している一方で10世紀代から衰退が見られ、大きな変容が認められる[6]。
国分寺北東の市川市国分4丁目(北緯35度44分47.56秒 東経139度54分46.70秒)に所在する。1932年の発掘調査で金堂・講堂の基壇が確認されるとともに「尼寺」と書かれた土器が出土し、位置の確定に至った[7]。なおそれ以前は、当地はかつて「昔堂」と呼ばれ、国分僧寺跡と考えられていた[8]。
発掘調査により寺の範囲を区画する溝が北・東・南で確認され、北溝は340メートル・東溝は303メートルに及び寺域は不整な方形をなしている[7]。現在は市川市営の国分尼寺跡公園として管理されている。
所在地
交通アクセス
周辺
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.