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ルノー・ド・ボージュー[2](Renaud de Beaujeu, Renaut de Bâgé, ~de Baugé)は、中世フランスのアーサー王伝説(ブルターニュ題材)の作家。大作としては『名無しの美丈夫』[2](Le Bel Inconnu、6266詩行)の一点のみで知られる[3]。古フランス語、12世紀末から13世紀初頭の成立とされている[5][7][9]。
『名無しの美丈夫』の作者は、作品の終末で自らを"Renals de Biauju"(6249行目)と名乗っており、かつてはルノー・ド・ボージュー(Renaud de Beaujeu)と現代風に呼び慣わされてきたが[10]、近年の研究・編訳本ではルノー・ド・バジェ(Bâgé)を正しいとしており、バジェとはブレス地方の領主家の家名である[11]( § 年代と家系譜参照)。
ルノー作の『名無しの美丈夫』は、ひとつの書写本が残存する(シャンティイ城図書館/コンデ美術館蔵 472本).[8][12]
ウィリアム・ヘンリー・スコフィールド(ハーバード大学教授)の当時(1895年)においては、著作者の出自などの情報は極めて乏しかった。ただ『名無しの美丈夫』 以外にも、同名人物が詩歌を作詞しており、その歌詞一節が、『薔薇、またはギョーム・ド・ドール物語』で引用された[10][13]。そしてこの作詞家が"Renaut de Baujieu, De Rencien le bon chevalier"(1451–2行目)と名指されることから[14] 、ルノーが騎士階級の身分であるという事までは判明していた[15]。
しかしその後の研究で、著作者の身元・家系を解明する説が現れている。これはアラン・ゲロによる、紋章学的なヒントを基にした解析の功績が大きい[16]。『名無しの美丈夫』では、主人公の紋章は、白貂毛皮〔アーミン〕模様の獅子、背景〔フィールド〕は青であるとされるが[18] 、これは作者自身のものを代用したと仮定すると、作者はじつはバジェ家(Bâgé)の家柄であり、ライバル家のボージュー家ではないことが判明したという[20][21][23]。ここで成立年代に合致するのは二名のルノーだが、より有力とされるのが、サン=トリヴィエ領主ルノー(Renaut, Seigneur de Saint-Trivier 、fl. 1165–1230年)である[注 1][注 2][17][6]。
また、『ギョーム・ド・ドール物語』の作者はルノーを"Rencien"出身者と述べたが、これは"Rencieu"(ラテン語: Rantiacum)の誤記とも考えられ、であれば現今のランシーであり、バジェ家の次男三男が拝領する上述のサン=トリヴィエに近い地名を指しており[24]、バジェ家同定考証の傍証となっている。
作者に同定されるサン=トリヴィエ領主ルノーは、嫡流のバジェ領主ルノー3世(Renaud/Raynald III、当主1153–1180年)の三男[25]。ルノー3世は、継承の1153年に、マコン伯ジラール1世 (マコン伯)や、ボージュ―領主ユンベールらを相手どり合戦した[26][27]。1180年にルノー3世が死ぬと、作者の長兄ユルリク3世[?] が後継となったが[25]、先妻の息子ギーは1215年に先立ったため、ユルリクが1220年に死ぬと、後妻の息子のルノー4世が引き継ぎ、バジェとブレスの当主となった[25][注 3]。
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