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リヴォニア(Livonia)は、現在のラトビアの東北部(ヴィドゼメ地方)からエストニアの南部にかけての地域の名称。また、リボニア[1]やドイツ語風にリーフラント(Livland)ともいう。
この地にはフィン・ウゴル系(ウラル語系)とされるリヴォニア語を話すリーヴ人が住んでいたが、現在では人口数百人程度の少数民族となっている。ドイツ騎士団の植民やバルト人・フィン人等との混血により、激減したとされる。現在、住民はほぼバルト系ラトビア人とロシア人で占める。
リヴォニア十字軍の間に、リヴォニア帯剣騎士団(後にリヴォニア騎士団と呼ばれる)に植民地化された。テッラ・マリアナはバルト海の東海に位置し、現在のエストニア南部とラトビア北部からなる領域。リヴォニア十字軍の結果作られた。
中世は北方十字軍や東方植民の影響でドイツ系の住民バルト・ドイツ人が多数を占め統治された。リーヴ人の影響は残り、この地はリーヴ人の土地、リヴォニアとして名を残す事になる。
ドイツ騎士団国(1224年-1237年)と支部のリヴォニア騎士団(1237年-1561年)、リヴォニア公国(ポーランド王国、ポーランド・リトアニア共和国 1561年-1621年)、スウェーデン(バルト帝国 1629年-1721年)と支配者を変えた後、最終的に18世紀初頭に始まった大北方戦争によりロシア帝国(1721年-1918年)に帰した。20世紀には、リヴォニアの北部をエストニア、南部をラトビアとして国家が成立した。
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