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ラヴラ
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「ラブラ」とは異なります。 |
ラヴラ、もしくはラウラ(ギリシア語: Λαύρα, ロシア語・ウクライナ語・セルビア語: Ла́вра, 英語: Lavra, Laura)は、正教会、およびそれ以外の東方教会の一部に存在する修道の形態の一つ、またその修道を行う者達の共同体[3]。
![パレスチナの地に創建されたギリシャ正教の初期のラウラのうち、現存するエリコの岸壁沿いに建てられた誘惑の修道院。細長い通路で構成されている。](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/af/Monastery_of_the_Temptation_%28Jeriho%29.jpg/640px-Monastery_of_the_Temptation_%28Jeriho%29.jpg)
語源となる古代ギリシア語のΛαύρα(ラウラ)は、細い通路や幅の狭い小径という意味であった[2][4]。そして、ユダヤ砂漠で隔絶した洞窟や小部屋に住み週のほとんどを独居生活を送り修道を行う東方教会の隠修士たちの隠修様式を指していた[5][6]。週末の土曜日は小部屋や洞窟の中心部に設けられたリフェクトリー(英語版)で共同の食事を取ると、また小部屋や洞窟に戻り祈りを中心とした「悪魔と戦う」独居生活に戻った[6][7]。隠修士たちは独居生活の間に手工芸品の制作も手掛けており、週末はその完成品を届け、新たな材料を得る機会でもあった[6]。当時のラウラは共同体というより、コミュニティに近いものだった[6]。
アトス山は当初「独住」の修道形式を受け継いだが、徐々に共住修道の修道院形式に移り変わっていった[6]。
この原義から転じて、ロシア正教会、ウクライナ正教会における大きな規模・高い格式を示す称号として修道院名に付される用法や、アトス山におけるメギスティス・ラヴラ修道院(ギリシア語: Μονή Μεγίστης Λαύρας)のように固有名詞の一部となる用法がある[3]。