ムスリム・ブルガリア人
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ムスリム・ブルガリア人(ムスリム・ブルガリアじん、ブルガリア語:българи мохамедани / Balgari Mohamedani)はムスリムであるブルガリア人。かれらの多くは、16世紀から18世紀のオスマン帝国統治下で、イスラム教に改宗したブルガリア人の子孫である。 ポマク(Помак / Pomak)、アフリャン(Ахрян / Ahryan)、ポガネツ(Поганец / Poganets)、マルヴァク(Марвак / Marvak)、ポトゥルナク(Потурнак / Poturnak)とも呼ばれる。
彼らはブルガリア語を母語として話すため、公的には、民族的にはブルガリア人の宗教的少数者と見なされ、ブルガリア人と異なる民族とは見なされていない。
ムスリム・ブルガリア人の多くはブルガリアの南に位置するロドピ山脈のスモリャン州、パザルジク州南部、クルジャリ州、ブラゴエヴグラト州東部に住むほか、歴史的にブルガリア人の多く済むギリシャ北西部のロドピ県(Νομός Ροδόπης / Nomos Rodopis en)、クサンティ県(Νομός Ξάνθης / Nomos Xantis、en)に住む。一部はロヴェチ州や、アルバニアのゴロ・ブルドなどにも住む。
ブルガリア国外において、「ポマク」の呼称はブルガリア語を話すムスリムを指し示す呼称として頻繁に用いられ、その多くはギリシャやトルコに住んでいる。これらの人々の起源については議論があり、また彼らの多くは自らをブルガリア人とは異なる民族であると自認している。更に、彼らの多くはブルガリア国内に住むムスリム・ブルガリア人と同様の風習を持っている。
こんにち、ムスリム・ブルガリア人の多くがスラヴ系のブルガリア語の人名を持っているが、かつてはアラビア系やトルコ系の人名を持っていた。1990年代以降、ブルガリア正教会の神品でムスリム・ブルガリア人の家庭に生まれたボヤン・サルエフ(Боян Съруев / Boyan Saruev)によって、正教会に改宗した者もいる。
ムスリム・ブルガリア人の間でのブルガリア民族への回帰運動は1930年代にロディナ(Родина / Rodina)と呼ばれる組織によって始められた。この組織はムスリム・ブルガリア人の共同体の中から生まれ、キリスト教徒とイスラム教徒のブルガリア人同士の和解を目指して活動した。彼らは世俗的な生活と、現代的で非イスラム的な服装、女性への教育を推進した。