マントヴァ公国(マントヴァこうこく、: Ducato di Mantova)は、中世イタリアにおいて存在した君主国である。首都はマントヴァ

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マントヴァ公国
Ducato di Mantova
ゴンザーガ家 1433年 - 1797年 チザルピーナ共和国
マントヴァの国旗 マントヴァの国章
(国旗) (国章)
マントヴァの位置
マントヴァ公国の位置
マントヴァ侯国時代の領土(1494年) 緑色で示した。ポー平原に位置し、国土の中央を東西にポー川が流れる。北はヴェネツィア共和国(桃色)、西はミラノ公国(橙色)、南はモデナ公国、東はフェラーラ公国に接していた。
20世紀末のマントヴァ県の位置、マントヴァ公国の領土とほぼ一致する

1433年に、長年マントヴァの僭主シニョーレ)であったゴンザーガ家侯爵の地位を獲得して領主となり、フェデリーコ2世1530年公爵に昇格したことにより、マントヴァ侯国から公国となった。

1708年フェルディナンド・カルロ(カルロ3世)が亡くなると、ミラノ公国に編入され、オーストリア・ハプスブルク家領となった。

関連項目

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