マルクス・アンナエウス・セネカ
古代ローマの修辞学者、著述家 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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ルキウス- あるいはマルクス・アンナエウス・セネカ(羅: Lucius-、Marcus Annaeus Seneca, 紀元前54年頃 - 後39年頃)は古代ローマの修辞学者、著述家。小セネカの父として大セネカとも呼ばれる。彼のプラエノーメンは不明であり、「ルキウス」とされる場合[1][2]も、「マルクス」とされる場合[3]もある。ルネサンス期まで彼は息子の小セネカと混同されていたが、セネカは二人いたということをラファエロ・マフェイ (en:Raffaello Maffei)が16世紀初頭に発見した。大セネカの孫がマルクスと呼ばれており、祖父に因んで男子を名付けるのがローマの慣習であったことから、大セネカもまたマルクスという名であったに違いないとマフェイは推測した。しかし今日ではこの命名法は厳密なものではなかったとされており、文献に基づいてルキウスを彼のプラエノーメンとする説が広く受け入れられるようになった。ルキウスならば小セネカと同姓同名であり、かつて父子が混同されていたことに対する説明ともなりうる。