マリーア・ベアトリーチェ・デステ
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マリーア・ベアトリーチェ・リッチャルダ・デステ(Maria Beatrice Ricciarda d'Este, 1750年4月6日 - 1829年11月24日)は、マッサおよびカッラーラ公国(英語版)の女性統治者(在位:1790年 - 1797年、1815年 - 1829年)。モデナおよびレッジョ公国を治めたエステ家の女子相続人でもあり、オーストリア=エステ家の始祖である。
概要 マリーア・ベアトリーチェ・デステ Maria Beatrice d'Este, 在位 ...
マリーア・ベアトリーチェ・デステ Maria Beatrice d'Este | |
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マッサ=カッラーラ女公 | |
マッサおよびカッラーラ女公マリーア・ベアトリーチェ | |
在位 | 1790年 - 1797年、1815年 - 1829年 |
出生 |
(1750-04-06) 1750年4月6日 モデナ=レッジョ公国、モデナ |
死去 |
(1829-11-24) 1829年11月24日(79歳没) オーストリア帝国、ウィーン |
埋葬 | オーストリア帝国、ウィーン、カプツィーナー納骨堂 |
配偶者 | フェルディナント・フォン・エスターライヒ=エステ |
子女 | 一覧参照 |
家名 | エステ家 |
父親 | エルコレ3世 |
母親 | マリーア・テレーザ・チーボ=マラスピーナ |
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