ベネディクトゥス12世ラテン語:Benedictus XII, ベネディクト12世; 1285年 - 1342年4月25日)は、アヴィニョン捕囚の時期のローマ教皇(在位:1334年 - 1342年)である。

概要 教皇就任, 教皇離任 ...
ベネディクトゥス12世
第197代 ローマ教皇
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教皇就任 1334年12月20日
教皇離任 1342年4月25日
先代 ヨハネス22世
次代 クレメンス6世
個人情報
出生 1285年
フォワ伯領サヴェルダン
死去 1342年4月25日
プロヴァンス伯アヴィニョン
その他のベネディクトゥス
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略歴・事績

フランス出身で、本名はジャック・フルニエ(Jacques Fournier)。厳格な人物で、賄賂などの悪弊を禁じ、司教司教区に居住するよう求めた。また、アヴィニョン教皇庁宮殿の建設を始めた。しかし、前教皇ヨハネス22世が抱えていた神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世との対立は収まらず、1338年フランクフルト帝国議会にてローマ王選挙で選ばれた王は同時に皇帝であり、教皇の戴冠は必要なしと宣言された。この選挙における教皇排斥論は、のちに、1356年金印勅書で文章化されていく。

なお、前教皇ヨハネス22世が異端として破門したフランシスコ会会士で神学者オッカム(オッカムのウィリアム)に対し、ベネディクトゥス12世もまた破門に処した[1]。オッカムの著作に『教皇ベネディクトゥス12世への反論』がある[注釈 1]

1342年4月25日にアヴィニョンにて死去する。

脚注

参考文献

関連項目

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