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パリ軍事総督
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パリ軍事総督(パリぐんじそうとく、仏: Gouverneur militaire de Paris)は、フランスの首都パリの守備について責任を負う歴史ある役職である。パリ軍総督ともいう。現在もパリ軍事総督はパリに衛戍し、国家機関を防衛する全部隊を指揮するが、総督は毎年7月14日にシャンゼリゼ通りで開催されるフランス革命記念日での軍事行進について共和国大統領の下で執行責任者としての役目もある。
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総督職の起源は不明点があるが、公式にはフランス王国が百年戦争を戦っていた1356年12月5日にイギリスの捕虜となっていた善良王ジャン2世に代わって、後にシャルル5世となるドーファン(王太子)がアンジュー公ルイを「パリ王と王太子代理(lieutenant du Dauphin et du Roi à Paris)」に指名したことが始まりとされる[1]。
総督職は2つの体制を経て変化している。アンシャン・レジーム下ではパリ王として国王不在間は首都に居て諸州を支配する諸侯を抑えることであった。総督職はフランス革命によって1791年に廃止されるもパリ及び周辺の守備を維持するために「パリ軍総司令官(commandant général de la force armée à Paris)」を用意して第17師団長が指名され、そして1804年にナポレオン1世によって復活している。これにより総督職の役目は軍隊の指揮に特化することになるが、その権限は時代と共に変化し厳密な意味での総督職や軍管区総督職および軍団総督職としての機能があった。現在の総督職はイル=ド=フランス地域圏司令官、海外派遣部隊、特にアフリカ向けの部隊の訓練指揮官、イル=ド=フランス防衛管区司令官として管内の市民経済防衛について地域圏知事や県警本部長に対し軍事顧問としての役割がある。