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ハムは、旧約聖書創世記、ノアの方舟の物語に登場する、ノアの3人の息子(セム、ハム、ヤペテ)の一人。
兄弟の年齢順については諸説あり、一般的にヘブライ語の聖書では「ハムが末子[1]」「セムがヤペテの兄[2]」という記述から「セム>ヤペテ>ハム」の年齢順としているが、七十人訳聖書では本文の「セム、ハム、ヤペテ」は下から数えていると判断されているらしく「末子→より若い」「ヤペテの兄→ヤペテの弟」という記述にされている[3]。
ハムは大洪水の後、父親が酔いつぶれて全裸で寝ていたのをセムとヤペテに言いふらしたためノアの怒りを買い、父から「カナン(注:ハムではない)は彼ら[4]のしもべになれ」と呪いをかけられる[5]。
その後、兄弟共々他の兄弟とともに子孫を各地に広げた人物とされており、『創世記』第10章の系譜によるとそれぞれが以下の民族の始祖になったとされた。
『創世記』第9章でなぜノアが悪さをしたハム本人ではなく、その子供のカナンを呪ったかについては諸説ある。
著名なものが「ハムは近親関係なので直接呪えなかった」とするもので、例として前述のヨセフスの『ユダヤ古代誌』第I巻vi章解説では「彼(ノア)との近親の関係のゆえにハム自身に対してではない」とあり、カナン以外の子孫については「(本来はハムの子孫全員に対する呪いだが)他の子供は呪いから逃れた」としている[12]。
これ以外の説では「ハム=カナン」とするものがあり、セム・ハム・ヤペテは元々パレスチナ周辺しか知らない頃のヘブライ人たちによる「ヤハウェの民・カナン人・ペリシテ人」の先祖を指していて、ノアの呪いの言葉は紀元前12世紀頃の「内陸から勢力を広げたイスラエル人たちと海を渡ってきたペリシテ人によってカナン人を圧迫していたが、イスラエルとペリシテの勢力はまだ住み分けていて平和的だったころ。」を指していて、元来の話では9章後半部は18節-19節の系譜説明や22節の「カナンの父ハム」といった系譜説明的な部分がなく「カナンが悪さをして子々孫々呪われた」というシンプルな内容だったが、後世になってヘブライ人の世界観が地中海世界にまで二次的に広がり、第10章(世界観が広がった後の加筆とする)にあるように地中海各地の民族をハムとヤペテに結び付けたことで「ハムの子のうちなぜかカナン系統だけが呪われる」という不自然な流れになり、ペリシテ人もハム系(しかし呪われてはいない)とされるようになったというものである[13]。
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