ノート:オカルト
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仙人になるための修行体系。伝統的な方法は煩雑かつ現代人には理解しにくいものであるが、 実はコツがあり、いったんそれを掴んでしまえば非常に簡単に修行をすすめる事が出来る。 なお、仙人とは山奥に住み霞を吸って生きる老人のことではなく、 様々な制約、世間的な価値観、さらには自然法則からも逃れることに成功した人のことである。 従って街中にすむ若い仙人も存在する、と思う。
哲学がオカルトに入ってるのを哲学研究者が見たら泣くんじゃないだろうか。確かに超自然(meta-physic=形而上)なものは扱うけど、それは自然学を可能にする論理的な枠組みを見出そうとする研究なわけだし、中世以来オッカムの剃刀の縛りがあるから安易にオカルトの方向に行くことはないと思うのだけど。(Setomanko 15:03 2004年2月17日 (UTC))
- Setomankoさんに同意します。ただ、最初にこの記事を書いた方は、もしかしたら13世紀以前の、神秘主義の影響下にあった哲学の一派をイメージして、リストに哲学を加えたのかもしれません。だとしたら厳密に、学派名を記述すべきだとは思いますが。
- ついでに言うならば項目名はオカルトよりもオカルティズムがふさわしいと思います。異論がなければ移動をかけたいと思っています。MH 17:39 2004年2月17日 (UTC)
- 同意ありがとうございます。ところで、英語版ではオカルトとオカルティズムは分離してありますね。どう違うかは私には分かりませんが、あちらでさえあの程度の分量しかかけないのだしオカルトとオカルティズムがそれぞれ違うものを指すのだとしてもその違いは同一記事内で語られた方がよさそうですね。(Setomanko 18:16 2004年2月17日 (UTC))
- 中世以降でも、神の存在証明はいろいろな人がやっているようですし、意識や時間や存在について思索する哲学は、学者が研究しないような哲学や宗教と主題的には重複していますし、精神世界の下位項目という位置付けは、書店で精神世界のコーナーを見て哲学書がある、みたいな感覚かも知れない、とも思いました。 オカルトの一部に哲学が包摂されるとか、精神世界の一部に哲学が収まるという風にとると違和感がありますし、そんなものと一緒にしてくれるな、とまあ研究者は思うかも知れないですね。^^;) Tomos 18:21 2004年2月17日 (UTC)
- 神の存在証明も特定の宗教の神の肯定が目的ではないんですよねー。哲学的思索の果てに行き着く第一原因を神と名づけてるだけで、「そんな神があるとしたらそれはキリストの神に違いない」ってところに結局は飛躍するわけだけど。中世以降の存在証明もカントに至って否定されるけど、それだってオカルトだからというより思索の手続き上のミスとして否定するわけで。哲学をちょっとかじった身からすると、自分の知ってる教官の売れない研究書の隣にどこぞの教祖様のベストセラーが置いてあると結構萎えますね(笑)。ただ神秘主義的な哲学は実際存在したようですし、MHさんのいうように、そういうものはそういうものとしてきちんと位置づけてあれば記事としては価値高いとおもいます。(Setomanko 18:39 2004年2月17日 (UTC))
- 「オカルト」の記事は、「超自然的・非現実的な内容を扱う、科学的アプローチではない分野」の記事への水先案内となるページであればよいと思います。それが、一般の人が「オカルト」という語やジャンル名に抱く印象であると思うので。その点では、「オカルティズム」とは微妙に違う扱われ方をする語だと思いますが、きっちり分けて扱うなら同じページ内にまとめることについては賛成です。
- 一方、記事に「哲学」が含まれていることについては、リストにあるように精神世界を扱う分野として書き加えられたに過ぎないと思います。オカルトというジャンルにはそぐわないと思う一方、参考にはなるので、「関連項目」あたりに記事内移動してはどうでしょうか。
- - Gombe 04:07 2004年2月18日 (UTC)
- ご助言に従って関連項目に移動してみました。が、いまいち日本語が巧くありません・・・(Setomanko 08:43 2004年2月18日 (UTC))