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ニューヨーク州の郡 ウィキペディアから
トンプキンス郡(英: Tompkins County)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州の中央部西に位置する郡である。人口は10万5740人(2020年)[1]。郡庁所在地はイサカであり、同郡で人口最大の都市である。
トンプキンス郡はその全体でイサカ都市圏を構成している。郡内にはコーネル大学、イサカ・カレッジ、トンプキンス・コートランド・コミュニティカレッジがある。郡名はニューヨーク州知事とアメリカ合衆国副大統領を務めたダニエル・トンプキンズに因んで名付けられた。
1683年にニューヨーク植民地で郡が作られたとき、現在のトンプキンス郡地域はオールバニ郡に属していた。これは巨大な郡であり、ニューヨーク州北部とバーモント州の全てを含んでおり、さらに理論的には西の太平洋岸まで広がっていた。1766年7月3日に、カンバーランド郡を分離し、1770年3月16日にグロスター郡を分離したが、どちらも現在はバーモント州に含まれている。
1772年3月12日、オールバニ郡の残りが3つに分割され、1つはオールバニ郡の名前で残った。1つは西部に作られたトライアン郡だった。トライアン郡の東部境界は現在のスケネクタディ市の西約5マイル (8 km) にあり、アディロンダック山地の西側と、デラウェア川西支流より西の領域を含んでいた。トライオン郡に指定された地域には現在のニューヨーク州37郡が入っている。ニューヨーク植民地総督のウィリアム・トライアンに因んで名付けられた。
1776年に先立つ年に、トライアン郡のロイヤリストは大半がカナダに逃亡した。1784年、アメリカ独立戦争を終わらせた条約締結に続いて、トライアン郡はモンゴメリー郡に改名された。これは独立戦争時の将軍リチャード・モントゴメリーに因む命名だった。モントゴメリーはカナダで数か所を占領した後、ケベック市攻略中に戦死した。憎まれたイギリスの総督に代わる命名だった。
1789年、モンゴメリー郡からオンタリオ郡が分離した。このときのオンタリオ郡は現在の領域よりもかなり広かった。現在のアリゲイニー郡、カタラウガス郡、シャトークア郡、エリー郡、ジェネシー郡、モンロー郡、ナイアガラ郡、オーリンズ郡、スチューベン郡、ワイオミング郡、イェーツ郡の全体と、スカイラー郡、ウェイン郡の一部が含まれていた。
1791年、モンゴメリー郡からハーキマー郡が、オチゴ郡やタイオガ郡と共に分離した。
1794年、ハーキマー郡を分割してオノンダガ郡が設立された。
1799年、オノンダガ郡を分割してカユガ郡が設立された。当時のカユガ郡には現在のセネカ郡とトンプキンス郡、さらにスカイラー郡の一部が含まれていた。
1804年、セネカ郡がカユガ郡から分離して設立された。
1817年4月7日、セネカ郡とカユガ郡の一部を併せてトンプキンス郡が設立された。郡名は当時のアメリカ合衆国副大統領であり、元ニューヨーク州知事だったダニエル・トンプキンズに因んで名付けられた。ただし、トンプキンズが郡を訪れたことは無かった。
1854年、新設のスカイラー郡のためにヘクターの町と、ニューフィールドの西側区画列を譲渡した。
トンプキンス郡はニューヨーク州の中央部西にあり、シラキュース市の南、ビンガムトン市の北西に位置している。地域区分として通常はフィンガーレイクス地域に入るが、ニューヨーク州中央部あるいはサザン・ティアに分類する場合もある。
アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は492平方マイル (1,270 km2)であり、このうち陸地476平方マイル (1,230 km2)、水域は16平方マイル (41 km2)で水域率は3.17%である[2]。
2008年2月、アメリカ合衆国大統領選挙のニューヨーク州民主党予備選挙で、トンプキンス郡は州内で唯一ヒラリー・クリントンよりもバラク・オバマを支持した郡となった[3]。本選挙ではオバマが41%という大差で共和党のジョン・マケインを斥けた。州全体でもオバマが25.5%の差を付けた。アップステート・ニューヨークにある郡の中でもトンプキンス郡が最大の支持率差だった[4]。トンプキンス郡政府は15人の議会が統治している。議員は小選挙区から選ばれている。
年 | 人口 | %± | |
---|---|---|---|
1820 | 20,681 | — | |
1830 | 36,545 | 76.7% | |
1840 | 37,948 | 3.8% | |
1850 | 38,746 | 2.1% | |
1860 | 31,409 | −18.9% | |
1870 | 33,178 | 5.6% | |
1880 | 34,445 | 3.8% | |
1890 | 32,923 | −4.4% | |
1900 | 33,830 | 2.8% | |
1910 | 33,647 | −0.5% | |
1920 | 35,285 | 4.9% | |
1930 | 41,490 | 17.6% | |
1940 | 42,340 | 2.0% | |
1950 | 59,122 | 39.6% | |
1960 | 66,164 | 11.9% | |
1970 | 77,064 | 16.5% | |
1980 | 87,085 | 13.0% | |
1990 | 94,097 | 8.1% | |
2000 | 96,501 | 2.6% | |
2010 | 101,564 | 5.2% | |
2020 | 105,740 | 4.1% | |
2010-2020[5] |
以下は2000年の国勢調査による人口統計データである。
基礎データ
人種別人口構成
先祖による構成
言語による構成[6] |
年齢別人口構成
世帯と家族(対世帯数)
|
収入収入と家計 |
|
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