トゥールーン朝
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トゥールーン朝(トゥールーンちょう、アラビア語: الطولونيون)はイスラーム期エジプト(英語版)とビラード・アッ=シャーム(英語版)(シリア)における初の独立王朝[1]。868年から905年まで独立を維持したが、イスラームの中央政権であるアッバース朝のカリフ政府によって打ち破られ支配地は回収された。
9世紀後半、アッバース朝の内乱は帝国の周縁地域の支配を弛緩させ、868年に「テュルク人」の将軍アフマド・ブン・トゥールーンが自身の独立政権をエジプトに確立した。ついで彼はアッバース朝中央政府から名分上も自治を認められた。彼の治世中(868年-884年)とその後継者たちの治世の間に、トゥールーン朝の勢力はヨルダン地溝帯、さらにヒジャーズ、キュプロス島、クレタ島に広がった。アフマドの地位は息子のフマーラワイフ(Khumarawayh)に継承された。彼は中東における軍事的、外交的なキーパーソンとして躍り出た。アッバース朝はトゥールーン朝が合法的な統治者であることを承認したが、同時にアッバース朝の宗主権下にあるという形式を認めた。フマーラワイフ以降のアミールたちは無力であり、中央アジア系および黒人奴隷の兵士が国政を左右することを許した。905年にはトゥールーン朝はアッバース朝に抵抗することはできなくなっており、エジプトとシリアの対するカリフの直接支配が回復された[2][3]。
トゥールーン朝時代は経済的、また行政的・文化的な再編の時代であった。アフマド・ブン・トゥールーンは税制を変更し、商人のコミュニティと足並みを揃えた。彼はまたトゥールーン朝の軍隊を確立した。首都はフスタートからアル=カターイ(英語版)へと遷された。アル=カターイにはイブン・トゥールーン・モスクが建設された。