ダミエッタ包囲戦 (1218年–1219年)
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1218年から1219年にかけてのダミエッタ包囲戦は、アイユーブ朝のアル=カーミルが支配していたエジプトのダミエッタを第5回十字軍が奪取した戦いである。
概要 ダミエッタ包囲戦, 時 ...
ダミエッタ包囲戦 | |||||||||
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第5回十字軍中 | |||||||||
ダミエッタの塔を攻撃する十字軍(コルネリス・クラース・ファン・ウィーリンゲン画) | |||||||||
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衝突した勢力 | |||||||||
十字軍 | アイユーブ朝 | ||||||||
指揮官 | |||||||||
ザールブリュッケン伯シモン3世 エルサレム王ジャン・ド・ブリエンヌ | アル・カーミル | ||||||||
被害者数 | |||||||||
不明 | 5万–7万7000人の市民が死亡 |
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ナイル川河口に位置するエジプトの主要港湾都市ダミエッタは、第5回十字軍の最初の標的であった。十字軍はここを拠点として、北のアッコと南のスエズからイェルサレムを挟撃する計画を立てていた。またダミエッタの奪取は、十字軍の資金確保や、地中海におけるムスリム勢力を弱めるといった目的もあった[1]。