セゲスタ包囲戦
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セゲスタ包囲戦は、紀元前398年夏および紀元前397年春に、シケリア(シチリア)のセゲスタ(現在のカラタフィーミ=セジェスタのセジェスタ遺跡)で行われた攻城戦。シュラクサイの僭主ディオニュシオス1世は紀元前405年にカルタゴとの平和条約を締結した後、急速に軍拡を行いシュラクサイにおける権力を確実なものとした。ディオニュシオスはシュラクサイを要塞都市化し、傭兵による巨大な陸軍と、巨大な艦隊を作った。また、史上初めて大型弩弓と五段櫂船を開発した。紀元前398年にはヒミルコが率いるカルタゴ海軍が救援に駆けつけたにもかかわらず、シケリアにおけるカルタゴの重要な都市であるモティアを攻略した(モティア包囲戦)。モティアの包囲と並行して、ディオニュシオスはセゲスタも包囲していたが、これには失敗した。モティアが陥落すると、ディオニュシオスは再びセゲスタを包囲した。しかしセゲスタ軍は大胆な夜襲を敢行し、ギリシア軍に損害を与えた。紀元前397年にヒミルコがカルタゴ陸軍と共にシケリアに戻ってくると、ディオニュシオスはシュラクサイに撤退した。ディオニュシオスがシケリア西部を確保することに失敗したため、第二次シケリア戦争の残りの戦闘は、おもにシケリア東部で戦われることとなった。このため、紀元前368年に至るまで、シケリア西部のエリミ人都市およびフェニキア人都市は戦禍に巻き込まれなかった。