ジュアン (オングト部)ウィキペディア フリーな encyclopedia ジュアン(モンゴル語: J̌u’an,中国語: 朮安,? - 1313年)は、14世紀初頭に大元ウルスに仕えたテュルク系オングト部族長。『元史』などの漢文史料では朮安(zhúān)と記される。 オングト人は代々ネストリウス派キリスト教の教徒であったが、ジュアンの父コルギスはモンテ・コルヴィノの布教によりカトリックに改宗した。その際、モンテ・コルヴィノの本名「ジョヴァンニ(聖人ヨハネに由来しするイタリア語名)」にあやかって「ジュアン」と名付けられたという[1]。
ジュアン(モンゴル語: J̌u’an,中国語: 朮安,? - 1313年)は、14世紀初頭に大元ウルスに仕えたテュルク系オングト部族長。『元史』などの漢文史料では朮安(zhúān)と記される。 オングト人は代々ネストリウス派キリスト教の教徒であったが、ジュアンの父コルギスはモンテ・コルヴィノの布教によりカトリックに改宗した。その際、モンテ・コルヴィノの本名「ジョヴァンニ(聖人ヨハネに由来しするイタリア語名)」にあやかって「ジュアン」と名付けられたという[1]。