ジギスムント (神聖ローマ皇帝)
神聖ローマ皇帝、ハンガリー王 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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ジギスムント(Sigismund, 1368年2月15日 - 1437年12月9日[1][2])は、ルドルフ1世から続く9代目の非世襲ローマ王(ドイツ王、在位:1410年 - 1437年)[注釈 1]、ルクセンブルク家として4人目で最後。元はハンガリー王ジグモンド(Zsigmond、在位:1387年[2] - 1437年)、さらに兄ヴェンツェルの後を継いでボヘミア王ジクムント(Zikmund、在位:1419年 - 1437年)。一時期はルクセンブルク公(在位:1378年 - 1388年)、ブランデンブルク選帝侯(在位:1378年[2] - 1388年、1411年 - 1415年)でもあった。晩年に神聖ローマ皇帝としても戴冠した。(在位:1433年 - 1437年)[注釈 2]。フランス名はシジスモン(Sigismond)。
概要 ジギスムント / ジグモンド / ジクムント Sigismund / Zsigmond / Zikmund, 在位 ...
ジギスムント / ジグモンド / ジクムント Sigismund / Zsigmond / Zikmund | |
---|---|
神聖ローマ皇帝 ハンガリー王 ボヘミア王 | |
(アルブレヒト・デューラーによる16世紀の作) | |
在位 |
1387年 - 1437年(ハンガリー王) 1410年 - 1437年(ローマ王) 1419年 - 1437年(ボヘミア王) |
戴冠式 |
1387年3月31日(ハンガリー王) 1414年11月8日(ローマ王) 1420年7月28日(ボヘミア王) 1433年5月31日(神聖ローマ皇帝) |
別号 |
ローマ王 クロアチア王 ブランデンブルク選帝侯 ルクセンブルク公 |
出生 |
(1368-02-15) 1368年2月15日 神聖ローマ帝国 帝国自由都市ニュルンベルク |
死去 |
(1437-12-09) 1437年12月9日(69歳没) 神聖ローマ帝国 ボヘミア王国(モラヴィア辺境伯領)、ズナイム |
埋葬 | ハンガリー王国、ナジヴァーラド |
配偶者 | ハンガリー女王マーリア |
バルバラ・ツェリスカ | |
子女 | エリーザベト |
家名 | ルクセンブルク家 |
王朝 | ルクセンブルク朝 |
父親 | カール4世 |
母親 | エリーザベト・フォン・ポンメルン |
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父は神聖ローマ皇帝カール4世、母は4番目の妃で[2]ポーランド王カジミェシュ3世の孫娘エリーザベト[3]。ニュルンベルクで生まれた[2][4]。ローマ王ヴェンツェルの異母弟。在位中の1415年、自らが兼ねるブランデンブルク選帝侯をホーエンツォレルン家のニュルンベルク城伯フリードリヒ6世に譲渡した[5]。半世紀にわたりハンガリー王として在位し、治世後半には神聖ローマ皇帝およびボヘミア王も兼ねたが、その死によって皇帝家・王家としてのルクセンブルク家は事実上断絶した。