ザグウェ朝
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ザグウェ朝(Zagwe dynasty)は、今日のエチオピアにあった歴史上の王国である。900年頃から1270年、最後の王ザ=イルマクヌン(Za-Ilmaknun)がイクノ・アムラクの軍との戦争で殺されるまで広い領土を治めた。王朝の名前は、アガウ族が支配階級であったことから、ゲエズ語で「アガウ族の王朝」という意味のZe-Agawから来たと考えられている[1]。ザグヴェ朝の最も有名な王は、ラリベラに石造りの教会を作ったことで知られるゲブレ・マスケル・ラリベラ(英語版)である。
デイヴィッド・バクストン(David Buxton)は、ザグウェ王の直接の支配下にあった領域は、「恐らく現在のエチオピアの高地とティグレ州全域から、南方はWaag、Lasta、Damot、西方はタナ湖まで広がっていた」と述べている[2]。後のエチオピアの支配者の慣習と異なり、タディセ・タムラト(Taddesse Tamrat)は、ザグウェ朝の下での世襲は、アガウ族の相続法に基づき、兄弟を継ぐものであったと主張している。