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サヴォイア軍事勲章 (伊語:Ordine militare di Savoia)は、サルデーニャ・ピエモンテ王国、イタリア王国及びイタリア共和国の勲章であり、イタリア陸軍・海軍・空軍における最高位の勲章。サヴォイア家が軍人に限定した勲章として制定し、聖アヌンツィアータ騎士団勲章、聖マウリッツィオ・ラザロ騎士団勲章に次ぐ第三の勲章として用いられた。
Ordine Militare di Savoia Ordine Militare d'Italia | |
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サヴォイア軍事勲章時代の小綬と星章 | |
サルデーニャ・ピエモンテ王国及び イタリア王国及びイタリア共和国による賞 | |
種別 | 騎士団勲章 |
受章資格 | 軍人 |
受章条件 | 軍務での顕著な功績 |
対象戦役 | ナポレオン戦争/リソルジメント/第一次世界大戦/第二次世界大戦/対テロ戦争 |
状態 | 1947年1月2日に名称変更 |
歴史・統計 | |
創設 | 1815年8月14日 |
初授与 | ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世 |
序列 | |
上位 | 聖マウリッツィオ・ラザロ騎士団勲章 |
下位 | サヴォイア市民勲章(英語版) |
共和制移行後は二つの騎士団勲章が公的な地位を失う一方、サヴォイア軍事勲章はイタリア軍事勲章(伊語:Ordine Militare d'Italia)として存続している。
サヴォイア軍事勲章は1700年代末、ナポレオン戦争の動乱という難局でサヴォイア家を率いていたサルデーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ3世が軍人達の労苦を讃え、称号を与えたのが始まりとされている。アメデーオ3世の息子カルロ・エマヌエーレ4世の時代にサルデーニャ・ピエモンテ王国はナポレオンにより滅ぼされるが、エマヌエーレ4世とその軍勢はピエモンテからサルデーニャ島に移り、抵抗を続けた。そしてその弟ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世の時代に旧領を回復してサルデーニャ・ピエモンテ王国を復興した。
エマヌエーレ1世はカラビニエリの創設など軍制度の改革を進めるが、その中で父が作った軍人達を労う慣例も制度化し、1815年8月14日にサヴォイア軍事勲章 (伊語:Ordine militare di Savoia)を制定した[1]。
最初期に受勲したのはサヴォイア家と行動を共にした軍人達の他、ナポレオン軍に参加してレジオンドヌール勲章を受勲した者、ボナパルト家によるイタリア王国に参加して鉄王冠勲章(英語版)を受勲した者達も対照となった。その後もサルデーニャ軍の参加した戦争で活躍した者が受勲し、やがてサヴォイア家がリソルジメントでイタリアを統一すると、顕著な戦果を挙げた者に与えられる武功黄金記章と並んでイタリア王国陸軍・海軍・空軍における最大の栄誉となった。
1946年に成立したイタリア共和国においてもイタリア軍事勲章(伊語:Ordine Militare d'Italia)として存続し[2]、サヴォイア時代に受勲した勲章も同格として扱われている。
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