サクベ

ウィキペディアから

サクベ

サクベ(sacbe[1]、複数形 sacbeob サクベオブ)とは、先コロンブス期マヤ遺跡に見られる、地面より高くつくられた、石と漆喰または石灰の粉を使って舗装された直線的な堤道をいう。

Thumb
ユカタン州ジビルチャルトゥンのサクベ
Thumb
チチェン・イッツァ、サクベ6の跡
Thumb
カバーのサクベの終点に立つアーチ

サクベという言葉はユカテコ語で「白い道」を意味し、サク(白い)とベ(道)の複合語である。古代マヤでも同じ語が使われていたらしい[2]

概要

サクベは物資の輸送、歩道、儀式の行進、政治領域の維持などに利用されたと考えられている[3]

低地マヤは熱帯の密林の中にあり、その中を歩くのは容易ではない。とくに雨季にはほとんど旅行は不可能になる。サクベはこの問題を解決し、一年中商業・政治・軍事的な移動を可能にする[4]

サクベは広いところでは10メートルの道幅があり、地面から1メートルから3メートル高く作られた[4]。現在ではその多くは埋まってしまっている。

サクベの多くはひとつの都市の中の建造物または建造物グループどうしを結んでいる。その多くは水源をひとつの端とする[5]チチェン・イッツァのサクベはセノーテとカスティーヨを結んでいる。

都市と別の都市を結ぶ長距離のサクベも作られた。有名なウシュマルカバーを結ぶサクベは20キロメートルほどあり、終点にはアーチが建てられた。コバーヤシュナを結ぶサクベは100キロメートルもある長いものだった。1990年代の研究によると、ユカタン半島西北のティホスペイン語版(現在のメリダ)から東端のプエルト・モレロスに至る半島を横断するサクベが存在した可能性があり、その長さは300キロメートルに及ぶという[6]

サクベは形成期中期の紀元前600年-300年ごろのものがもっとも古い[7]ディエゴ・デ・ランダはイチュカンティホ(ティホ)とイサマルを結ぶ「非常に美しい道路」や、チチェン・イッツァのセノーテ近くの道路について言及している[8]

脚注

参考文献

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.