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ゴンサーロ・デ・ボルボン・イ・バッテンベルグ(Gonzalo de Borbón y Battenberg, 1914年10月24日 - 1934年8月13日)は、スペインの王族、スペイン王子(Infante de España)。スペイン王フアン・カルロス1世の父方の叔父にあたる。
全名はゴンサーロ・マヌエル・マリーア・ナルシソ・アルフォンソ・マウリシオ(Gonzalo Manuel María Bernardo Narciso Alfonso Mauricio)。
スペイン王アルフォンソ13世と王妃であるバッテンベルク公女ヴィクトリア・ユージェニー(エナ)の間の末息子(第7子、五男)として生まれた。母はイギリスのヴィクトリア女王の孫娘の1人だったが、女王に起因する血友病の保因者でもあったため、ゴンサーロと長兄のアストゥリアス公アルフォンソ・ピオは血友病を抱えて生まれた。1931年4月にスペインに共和政府が樹立されると、家族とともに国外に脱出し、パリやフォンテーヌブローで亡命生活を送った。本来の入学予定先だったマドリード・コンプルテンセ大学への入学を断念し、1933年にベルギーのルーヴェン・カトリック大学工学部に入学した。
1934年8月、家族とともにヴェルター湖畔のペルチャッハ(オーストリア領ケルンテン州クラーゲンフルト郡)にあるラディスラウス・ホヨス伯爵(Ladislaus Hoyos)の別荘で夏の休暇を過ごした。8月11日、長姉ベアトリスと一緒に自動車でクラーゲンフルトを訪れ、別荘に戻る途中で事故に遭遇した。ベアトリスが運転していたところ、自転車を避けようとして壁に衝突したのである。ベアトリスは軽傷で済み、ゴンサーロも大した怪我が無いように見えたため、姉弟はそのまま別荘に帰った。しかしすぐにゴンサーロ付きの侍医が王子の腹部の深刻な内出血に気付いた。ゴンサーロは心臓が弱いため手術は不可能であり、なすすべなく2日後に亡くなった。19歳だった。
遺骸はペルチャッハの墓地に埋葬されたが、1985年になってエル・エスコリアル修道院内の王子廟(Panteón de Infantes)に移された。
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