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ゴスダーリ(ロシア語: Государь)とは、君主自身を指す言葉[1][注 1]、あるいはモスクワ大公、ツァーリ、ロシア皇帝などの国家元首が[3]公式に用いた称号である。歴史学的日本語文献では、「君主[4]」等と訳される。
キエフ・ルーシ等の古い時代においては、国家元首(クニャージあるいはヴェリーキー・クニャージ)ではなく、私的な立場を表す際に用いられており、主に、隷属者の所有者(主人)[1]、あるいは地主、高官などを意味する言葉だった[3]。
その後、モスクワ大公国の国家元首(モスクワ大公)は、その勢力を拡大させていくと、ツァーリという称号とともに、ゴスダーリも自身の称号に用いるようになった。例えば、イヴァン3世は15世紀末のリトアニア大公国との戦争に勝利した際に、リトアニアに、「全ルーシのゴスダーリ:君主(Государь всея Руси(ru))」の称号を承認させている[4]。また、イヴァン3世は1477年に、ノヴゴロド共和国の使節が、イヴァンに対して用いる言葉は「ゴスダーリ(君主)」か「ゴスポヂン(господин / 主人)」かを問いただした末(ノヴゴロド側は、使節が用いた「ゴスダーリ」は、使節の越権行為であるとして否定)、不敬であるとして軍隊を送った。結果、1478年にノヴゴロドを併合している[5][1]。
なお、15世紀頃には「ゴスポダーリ(Господарь)」という称号も用いられていたが、ロシアにおいては、ゴスポダーリは、次第にゴスダーリに収斂していった。また、17 - 18世紀には、「гдⷭ҇рь」という省略形が用いられた。
各ロシア皇帝は、称号の全名の中で、ピョートル1世により創設された「インペラートル(皇帝)」、また、かつてのロシア国家が用いた「ツァーリ」「ヴェリーキー・クニャージ(大公)」の称号とともに、何ヵ所かの領土に対するゴスダーリであることを記している。また、19世紀には、ロシア皇帝に対し「Всемилостивейший Государь / 意訳:遍き慈悲に溢るるゴスダーリ」という表現を用いた例がある。
ロシア帝国法律全書(ru)第59条では[注 2]、ロシア皇帝の称号の全名を、以下のように定めていた。
Божіею поспѣшествующею милостію, Мы, NN, Императоръ(皇帝) и Самодержецъ(専制君主) Всероссійскій, Московскій, Кіевскій, Владимірскій, Новгородскій; Царь(ツァーリ) Казанскій, Царь Астраханскій, Царь Польскій, Царь Сибирскій, Царь Херсониса Таврическаго, Царь Грузинскій; Государь Псковскій(プスコフのゴスダーリ) и Великій Князь(ヴェリーキー・クニャージ) Смоленскій, Литовскій…後略[6]
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