コチカル・テギン
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コチカル・テギン(火赤哈児的斤/Qočqar tigin、生没年不詳)は、13世紀初頭に活躍したモンゴル帝国領ウイグル王国の王(イディクート)[1]。コチカル・テギンの治世において「カイドゥの乱」が勃発し、カイドゥの侵攻によって首都ビシュバリクからカラ・ホージャ(高昌)の遷都を余儀なくされたことで知られる。
『元史』などの漢文史料では火赤哈児的斤(huǒchìhāér dejīn)と表記されるが、蒙漢合壁碑(ウイグル文字文と漢文の両方が記される碑文)の「高昌王世勲碑」の記述によりテュルク語で「公羊」を意味する「コチカル・テギン(Qočγar tigin)」が正しい名前であると判明している[2]。