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KFOR(英:Kosovo Force)、コソボ治安維持部隊(コソボちあんいじぶたい)は、コソボに駐留する、北大西洋条約機構(NATO)主導[1]の国際安全保障部隊である。コソボ紛争を受けて1999年6月10日に採択された国連安保理決議1244に基づき、NATO指揮の下、当時ユーゴスラビア連邦共和国のセルビア共和国統治下にあったコソボ・メトヒヤ自治州において治安維持を担うため組織された。同決議に基づき暫定行政を行う民生部門は国際連合コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)という。
ユーゴスラビア連邦共和国はその後に移行した国家連合のセルビア・モンテネグロからモンテネグロが2006年に国民投票で分離を決め、セルビアも独立した。同国の実効支配が及ばなくなったコソボは2008年2月17日に独立を宣言したが、セルビアなどは国家の承認を拒否しており、多数派のアルバニア系住民と、コソボ北部を中心に暮らすセルビア系住民は対立したままで、2020年代においてもKFORの駐留が続いている[1](後述)。
コソボ問題に対するG8合意及び、ユーゴスラビア連邦共和国のスロボダン・ミロシェヴィッチ大統領(当時)が受諾した和平案に基づき国連安保理決議1244が可決されると、NATO及び関係国は治安維持部隊としてKFORを編成した。同決議に基づくKFORの目的は、
となっている。
KFORは以下のように4区域に分割し、各区域に複数の国から派遣された部隊により編成される。また、各担当区域にはリーダー国が配置されている。
またこれら担当区域別の治安維持部隊とは別に、以下のような特別任務部隊もある。
ユーゴスラビア時代末期、セルビア治安部隊やユーゴスラビア軍とコソボ解放軍の対立は激しく、セルビア人、アルバニア人双方に迫害の被害者を出した。NATOは、これをアルバニア系住民に対する民族浄化であるとして1999年、セルビア本土を含めて大規模な空爆を実施した(アライド・フォース作戦)。和平合意に基づき同年6月、ユーゴスラビア軍はコソボから撤退して、KFORが進駐。KFORの駐留と、コソボの統治をアルバニア系が主導するようになったことでアルバニア系住民への迫害は減った、その一方で非アルバニア系、特にセルビア系住民の拉致と見られる行方不明、虐待、虐殺などは続き、特に2004年には大規模な迫害が発生した(コソボ暴動 (2004年))。
そのため、セルビア本土などへ逃れたセルビア人のコソボへの帰還は進んでいない。KFOR及びUNMIKの支配下でこのような行方不明や殺人が起きていること、1999年にNATOがセルビアを空爆対象にしたことから、セルビア人にはNATOやKFORやUNMIKに対する根強い不信感があるという指摘もある。
2023年時点、コソボ全土ではアルバニア系が人口の9割を占めるが、セルビアに近い北部ではセルビア系が多数派の地域もある。セルビア系は自治権拡大を要求しているがコソボ政府は受け入れておらず、北部4市でセルビア系住民が投票をボイコットした選挙においてアルバニア系市長が誕生したことに反発したセルビア系住民がデモを行なって同年5月29日にKFOR部隊と衝突し、KFORのイタリア部隊11人、ハンガリー部隊19人とセルビア系住民52人が負傷した[1]。
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