グレナダ占領 (1779年)
ウィキペディア フリーな encyclopedia
グレナダ占領 (グレナダせんりょう、英: Capture of Grenada)は、アメリカ独立戦争中盤の1779年7月2日から4日に、フランスがイギリス領西インド諸島のグレナダに侵攻し、占領した戦いである。デスタン伯爵が指揮するフランス軍は7月2日にグレナダ島に上陸し、3日から4日にかけた夜に島の首都セントジョージズを見下ろすホスピタル・ヒルにあったイギリス軍要塞を攻撃した。そこで捕獲した大砲がジョージ砦に向けられたので、島の総督マカートニー卿が降伏のための交渉に応じた。
概要 グレナダ占領 Capture of Grenada, 時 ...
グレナダ占領 Capture of Grenada | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
アメリカ独立戦争中 | |||||||
デスタン隊による高台占領、1779年の版画に彩色 | |||||||
| |||||||
衝突した勢力 | |||||||
フランス王国 | グレートブリテン王国 | ||||||
指揮官 | |||||||
デスタン伯爵 | マカートニー卿(捕虜) | ||||||
戦力 | |||||||
2,100 25 戦列艦[1] |
125 正規兵 436 民兵と志願兵[2] | ||||||
被害者数 | |||||||
戦死: 114 負傷: 200 [3] |
捕虜: 約700 捕獲大砲: 118門 捕獲商船: 30隻 [4] |
閉じる
デスタン提督はマカートニーの提示した降伏条件を拒否し、既に書いていた厳しい条件の採用に固執した。マカートニーはこれを拒否し、無条件降伏を選んだ。その後、デスタンは部隊に町の略奪を許可し、マカートニーは戦争捕虜としてフランスに送られた。
7月5日、ジョン・バイロン提督の指揮するイギリス艦隊が接近しているという情報が入り、フランス軍は艦船に再度乗り込んだ。翌7月6日にグレナダの海戦が起こり、フランス艦隊は、イギリスの艦船数隻に大きな損傷を与えた。海戦の後、両艦隊はそれぞれの基地に戻った。グレナダ島は独立戦争の終戦までフランスの支配下に留まり、1783年のパリ条約の条件によってイギリスの支配に戻された。