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クリス・マルケル(Chris Marker, 1921年7月29日 - 2012年7月29日)は、フランスの作家、写真家、映画監督、マルチメディアアーティスト、ドキュメンタリー作家。
1921年7月29日、フランス・パリ郊外ヌイイ=シュル=セーヌに生まれる。本名はクリスチャン=フランソワ・ブッシュ=ヴィルヌーヴ(Christian-François Bouche-Villeneuve)。
ジャン=ポール・サルトルのもとで、ギー・ドゥボールとともに哲学を学ぶ。第二次世界大戦中、ナチスに抵抗したフランスの地下組織マキ (抵抗運動) に参加。この頃からあらゆることをメモしていたことから「マーカー」(Marker)というニックネームが付いたといわれる。その後ユネスコの職員として世界中を飛び回る機会を得る。多くの社会主義国を訪れ、映画作品、雑誌の記事として記録する。
第三次世界大戦後の世界を舞台に、時間と記憶をめぐるSF短編映画『ラ・ジュテ』(1962年)で国際的な評価を得る。通常どおり撮影したフィルムをストップモーション処理したスチル写真のモンタージュで構成され、シンプルかつ効果的なナレーションで語られる。「フォトロマン」と称されるこの作品は、ジャン=リュック・ゴダール監督の『アルファヴィル』(1965年)や『未来展望』(オムニバス『愛すべき女・女たち』の一篇、1967年)、および押井守監督の『紅い眼鏡』(1987年)、『アヴァロン』(2001年)に影響[1]を与え、テリー・ギリアム監督の『12モンキーズ』(1995年)の原案ともなる。
1966年、製作会社「SLON」(Société de Lancement des Œuvres Nouvelles)を設立、ゴダール、ヨリス・イヴェンス、アラン・レネ、クロード・ルルーシュ、アニエス・ヴァルダ、ウィリアム・クラインに呼びかけて、オムニバス『ベトナムから遠く離れて』(1967年)を製作、自らも監督する。さらに翌1967年、ドゥー県ブザンソンの企業ロディアセタ社の大ストライキに際し、マルケルはゴダールとブリュノ・ミュエルともに「メドヴドキン集団」(Les groupes Medvedkine)を組織した。このグループ名はマルケルがリスペクトするソ連の映画監督アレクサンドル・メドヴドキン(1900年 - 1989年)から頂いたもので、ブザンソンや同県ソショーの工場で戦闘的な労働者をフィルムに収めた。『ロディアセタ』(1967年)、『また近いうちに』(1968年)、『闘争階級』(1969年)等の作品を発表、1973年まで同グループでの活動は続いた[2]。
1982年、マルケルは『サン・ソレイユ』を完成させる。日本、アフリカ、記憶と旅をテーマに、エッセイ、モンタージュ、ドキュメンタリーの断片とフィクション、それに哲学的コメントが混在した作品で、ドキュメンタリーというジャンルの限界を押し広げた。
この作品を通してデジタル技術に興味をもったマルケルは、沖縄での戦闘に関する映画『レベル5』と、ポンピドゥーセンターのためにCD-ROM作品『IMMEMORY ONE』を撮る。
映画監督の人物像を描いた作品に、アンドレイ・タルコフスキーに関する『アンドレイ・アルセニエヴィッチの一日』(2000年)、アレクサンドル・メドヴドキンに関する『アレクサンドルの墓 最後のボルシェヴィキ』(1992年)、黒澤明に関する『A.K. ドキュメント黒澤明』(1985年)がある。
晩年はパリ在住、インタビューは受けず、彼の写真を頼まれると、彼の猫ギヨムの写真を代わりに提供する。
2012年7月29日、パリで死去[3]。91歳没。
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