ギリシャ王国
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ギリシャ王国(ギリシャおうこく、ギリシア語: Βασίλειον της Ελλάδος、1832年 - 1924年、1935年 - 1941年、1944年 - 1967年[# 1])は、ギリシャ独立戦争によりオスマン帝国から独立したギリシャに設けられた王国である。列強諸国によってバイエルン王国、デンマークの王子が王に据えられたため国内での支持基盤が弱く、政変が相次ぎ安定しなかった。
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公用語 | ギリシャ語 | ||||||||||||||||||||||||||||
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首都 | ナフプリオ(1832年 - 1834年) アテネ(1834年 - 1973年) | ||||||||||||||||||||||||||||
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通貨 | ドラクマ | ||||||||||||||||||||||||||||
現在 | ギリシャ |
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- ギリシャ王国
- Βασίλειον τῆς Ἑλλάδος
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←1832年 - 1924年
1935年 - 1941年
1944年 - 1973年→
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→(国旗) (国章) - 国の標語: Ἐλευθερία ἢ Θάνατος(ギリシア語)
自由か死か - 国歌: Ὕμνος εἰς τὴν Ἐλευθερίαν(ギリシア語)
自由への賛歌
1947年までのギリシャ王国の領土の変遷
概要 ギリシャ王国年譜 ...
ギリシャ王国年譜 | |
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1821年 | ギリシャ独立戦争が始まる(第一共和制)。 |
1832年 | オスマン帝国から独立。バイエルン王ルートヴィヒ1世の次男オットーを国王オソン1世として迎える。 |
1834年 | 記念物法を施行。 |
1862年 | 革命が勃発し、オソン1世は退位。オソンは専制政治を敷き、政府の中枢をドイツ人官僚で固めたため、ギリシャ人の不満が増大していた。 |
1863年 | デンマークより新しくゲオルギオス1世を国王として迎える。イギリスがイオニア諸島を割譲。 |
1877年 | 露土戦争が起きる。ギリシャ王国は中立的立場に。翌年のベルリン会議では何も得られずに終わる。 |
1881年 | イギリスの仲介でテッサリアおよびイピロス南部の一部を併合。 |
1897年 | クレタ島の反乱に介入し、オスマン帝国と開戦するも敗北(希土戦争)。 |
1913年 | テッサロニキでゲオルギオス1世が暗殺(英語版)され、コンスタンティノス1世が即位。 |
1917年 | ドイツ帝国に宣戦布告し、第一次世界大戦に参戦。コンスタンティノス1世が退位しアレクサンドロス1世が即位。 |
1919年 | トルコ共和国との戦争に敗北(希土戦争)。 |
1920年 | アレクサンドロス1世が死去、コンスタンティノス1世が復位。 |
1922年 | 政変によりコンスタンティノス1世が退位、ゲオルギオス2世が即位。 |
1923年 | ローザンヌ条約によりスミュルナ(現イズミル)一帯と東トラキアをトルコに返還。 |
1924年 | 国民投票により王制廃止、ゲオルギオス2世が退位。第二共和制(〜1935年)。 |
1935年 | 国民投票によりゲオルギオス2世が復位。立憲君主体制に。 |
1936年 | イオアニス・メタクサスによるクーデター。メタクサスの独裁政権「八月四日体制」始まる。 |
1940年 | ムッソリーニ政権下のイタリア、ギリシャ侵攻開始。ギリシャ・イタリア戦争始まる。 |
1941年 | ナチス・ドイツに侵攻され、ゲオルギオス2世は亡命。ギリシャ国が成立。 |
1944年 | 連合国軍によりギリシャ解放。 |
1946年 | 国民投票によりゲオルギオス2世帰国。 |
1967年 | 軍事クーデターによりコンスタンティノス2世亡命。 |
1973年 | 国民投票により王制廃止。 |
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