オスマン帝国のボスニア・ヘルツェゴビナ征服
ウィキペディア フリーな encyclopedia
オスマン帝国のボスニア・ヘルツェゴビナ征服では、オスマン帝国がバルカン半島北西部に存在したボスニア王国を中心とするボスニア・ヘルツェゴビナに侵攻し、最終的に併合した一連の戦争や外交について述べる。1386年ごろ、オスマン帝国は初めてボスニア王国に侵攻した。それから65年後の1451年、オスマン帝国は公式にボサンコ・クライシュテ(Bosansko Krajište) と呼ばれる軍事的最前線の緩衝地帯のような行政区画をボスニアの一部とヘルツェゴビナの一部に設置した[1]。1463年、オスマン帝国はボスニア王国を滅ぼして最後の王スティエパン・トマシェヴィチを処刑し、その領土を併合した。ヘルツェゴビナも1482年までに併合された。しかし現在のボスニアの西側にあたる地域の征服にはさらに1世紀を要し、1592年のビハチ征服を持って完了した。