エチエンヌ・フルモンウィキペディア フリーな encyclopedia エチエンヌ・フルモン(Étienne Fourmont、1683年6月23日 - 1745年12月19日)は、フランスの東洋学者。名はラテン語式に「ステファヌス」と呼ばれることもある。漢字名は傅爾蒙。 フルモンは宣教師以外のフランス人としては最初期の中国学者のひとりであったが、剽窃者の悪評も残した。 フルモンはヨーロッパ初の明朝体漢字の活字開発を指導した[1]。
エチエンヌ・フルモン(Étienne Fourmont、1683年6月23日 - 1745年12月19日)は、フランスの東洋学者。名はラテン語式に「ステファヌス」と呼ばれることもある。漢字名は傅爾蒙。 フルモンは宣教師以外のフランス人としては最初期の中国学者のひとりであったが、剽窃者の悪評も残した。 フルモンはヨーロッパ初の明朝体漢字の活字開発を指導した[1]。