エジプト・シリア戦役
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エジプト・シリア戦役(エジプト・シリアせんえき、仏: Campagne d'Égypte et de Syrie)は、1798年から1801年まで、フランス軍がエジプト・シリアへ遠征した戦役である。単にエジプト遠征(仏: Expédition d'Égypte)ともいう。 ナポレオン・ボナパルト率いる5万人のフランス軍が、マルタ島を経由して、エジプトのアレクサンドリア近郊に上陸した。途中ナポレオンは帰還するも、延べ約3年間に渡って、地元のマムルーク軍や諸勢力、イギリス軍、そして後に宣戦してきたエジプト・シリアを間接支配するオスマン帝国の正規軍と戦った。
概要 エジプト・シリア戦役, 時 ...
エジプト・シリア戦役 | |||||||
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地中海戦役 (1798年)中 | |||||||
ピラミッドの戦い | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
グレートブリテン王国 | フランス第一共和政 | ||||||
指揮官 | |||||||
セリム3世 |
ナポレオン・ボナパルト | ||||||
戦力 | |||||||
オスマン帝国: 220,000名
| 40,000名(陸軍) | ||||||
被害者数 | |||||||
死傷者:50,000名[1] 捕虜:15,000名[1] |
死傷者:15,000名[1] 捕虜:8,500名[1] |
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