アントニオ・ロッティ
イタリアの作曲家、オルガニスト / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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アントーニオ・ロッティ(Antonio Lotti, 1667年1月5日 ヴェネツィア - 1740年1月5日 ヴェネツィア)[1] は、イタリア・ヴェネツィアにあるサン・マルコ寺院を中心に活動した盛期(中期)バロック音楽の作曲家、オルガニスト。晩年は同寺院の楽長を務めた[2]。
従来、アカペラの宗教合唱曲 「十字架に付けられ給いて」、歌曲 「美しい唇よ、お前は言ったのだ」 など少数の作品が知られるだけだったが、近年になってオペラ「テオファーネ」 の復活上演が行われ、また 「叡智のミサ曲」(ミサ・サピエンティアエ) や演奏に約50分を要する大作 「鎮魂ミサ曲」(レクイエム) など各種の録音が登場し、再評価の機運が著しい。傑出した教育者でもあり、門人にはドメニコ・アルベルティ、ベネデット・マルチェッロ、フランチェスコ・ガスパリーニ、バルダッサーレ・ガルッピ[3] 、ヤン・ディスマス・ゼレンカなどがいる。ロッティ夫人は著名なソプラノ歌手のサンタ・ステッラ・スカラベッリ(1686年ごろ-1759)である。