アドルフ・ダイムラー
ウィキペディアから
アドルフ・ダイムラー(Adolf Daimler、1871年9月8日 - 1913年3月24日)は、ドイツの自動車技術者である。
経歴
1871年9月8日、バーデン大公国の首都であるカールスルーエで、技術者であるゴットリープ・ダイムラーの次男として生まれた。
初期の経歴
アドルフが生まれた当時、父ゴットリープはガスモトーレン・ファブリーク・ドイツ社の技術部長を務めており、アドルフは幼少期を同社が所在するケルンで過ごした。1882年に父ゴットリープはシュトゥットガルト近傍のカンシュタットに移り、10代のアドルフはシュトゥットガルトで教育を受けた。
1891年、教育課程を終えた後、エスリンゲン機械工場で見習いとして短期間働いたが、父の勧めもあって、1895年から1898年にかけてシュトゥットガルト工科大学に通い、機械工学を学んだ。
ダイムラー
1890年に父の会社であるダイムラー社に入った。アドルフの出世は速く、1900年には主任技師、署名権者の一人になり、1904年に取締役会の準メンバー、1907年には事業部長に昇進し、正式にダイムラー社の取締役となった[1]。
スリーポインテッド・スターの考案
→「スリーポインテッド・スター」も参照
ダイムラー兄弟が考案したメルセデスの商標(1909年)。通称「スリーポインテッド・スター」。
「スリーポインテッド・スター」を配されたメルセデス・28/50PS(1909年)
1900年代半ばの時点でダイムラー社には商標(トレードマーク)がなかったため、兄でやはりダイムラーの重役(技術部長)であるパウルとともに商標を考案した[W 1]。
1909年にダイムラーの取締役会はスリーポインテッド・スターを同社の商標として承認し、同年に商標登録が行われた[W 1][W 2]。この際、フォーポインテッド・スターも考案して商標登録し、これはダイムラーの航空部門であるドイツ・エアロスペース社(DASA)の商標として用いられることになる[W 1]。
死去
その後、アドルフは病気を患い、長い闘病生活の末、1913年3月24日、テュービンゲンで死去した。
葬儀は3月26日にカンシュタットのウフ教会で行われ、遺体は父と同じく同教会の墓地に葬られた。
栄典
- フリードリヒ勲章・騎士1等級
- 赤鷲勲章・4等級
脚注
参考資料
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.