アスキア・ムハンマド1世
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アスキア・ムハンマド1世・トゥレ(Askia Mohammad Ture、? - 1529年?[1]/38年[2])は、アスキア朝ソンガイ帝国の君主(在位:1493年 - 1528年[3]/29年)。ソニンケ族の出身で[1]、シラ氏族のトゥレ(宗教指導者の称号)を祖先にもつ[4]。読み書きはできないながらも、温和な性格で先見性を持つ敬虔なイスラム教徒だと伝えられている[4]。
概要 在位, 出生 ...
アスキア・ムハンマド1世・トゥレ | |
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ソンガイ帝国君主 | |
在位 | 1493年 - 1528年/1529年 |
出生 |
1443年頃 |
死去 |
1529年/1538年 |
王朝 | アスキア朝 |
父親 | ムーシン・シン |
母親 | アスキア・シノ |
宗教 | イスラム教 |
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アスキア・ムハンマド1世はスーダン西部のフータ・トロ(英語版)地方の出身で、ソンガイの軍事指揮官・政治改革者として活躍した [3]。称号の「アスキア」は軍隊の階級に由来する[5]。先王を廃して即位したアスキア・ムハンマド1世は国力の増強に腐心し、西アフリカ史上に残る大国を作り上げた。アスキア・ムハンマドの治世にソンガイ帝国の版図は最大になり[6]、ハウサランドのカノ、スーダン西部の中央地域が帝国の支配下に入る。アスキア・ムハンマドは権力の基盤を都市部に置き、厳格なイスラム教徒として振る舞った[5]。彼の治世のソンガイではヨーロッパ・アジアとの貿易の急速な促進、多数の学校の建設が起こり、国家の体制にはイスラム教が不可欠なものになっていた。
アスキア・ムハンマドの布いた政策によってソンガイ帝国に前例の無い文化復興がもたらされ、帝国は学術と交易の中心地として繁栄した[2]。