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「順化皇城」 (フエ・ホアンタイン、ベトナム語:Hoàng thành Huế、ベトナム語: Hoàng thành; chữ Hán: 、もしくは「大内」 (ダイノイ、ベトナム語:Đại Nội)、はベトナムのトゥアティエン・フエ省フエ市に所在した、ベトナムのいくつかの王朝の首都であり、ベトナムに現存する最大の古代建築群である。
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1801年に阮朝の創始者である嘉隆帝(ザーロン帝、在位:1802年 - 1819年)は富春を制圧し、阮朝の都に定めた。嘉隆帝はヴォーバン様式に基づいた星型の城郭を持つ皇城の建設を計画し、嘉定に置かれていた太和殿が1805年に順化に移されて順化皇城の建設が開始された[1]。阮朝時代の順化は、中国の影響を受けたキン族文化にチャム文化を取り入れて発展していった[2]。第4代皇帝嗣徳帝(トゥドゥク帝、在位:1847年 - 1883年)は広南阮氏の正史『大南寔録』正編を編纂させたことで知られるが、建築事業も大々的に行い、現存する市内の王宮及び郊外の帝陵は嗣徳年間に整備された。
1883年に順化はフランスによって占領され、この地で条約が締結された。第二次フエ条約(パトノートル条約)によって大南がフランスの保護国とされた後も、阮朝の皇帝は第二次世界大戦末期まで皇城に住み続けた。1945年8月24日に皇帝保大帝(バオダイ帝、在位:1925年 - 1945年)は退位を宣言して順化を去り、阮朝は滅亡した(ベトナム八月革命)。これによって保大帝はこの皇城に住んだ阮朝の最後の皇帝となった。
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