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戦国時代の武将。後北条氏の家臣。遠山綱景の次男。 ウィキペディアから
遠山 隼人佐(とおやま はやとのすけ、? - 永禄7年1月8日[1](1564年2月20日))は、戦国時代の武将。後北条氏の家臣。父は遠山綱景で次男。兄に藤九郎。弟や妹に弥九郎、政景、忠孝、景宗、大道寺政繁室、法性院(北条氏康養女・太田康資室)、島津主水正室、伊丹政富室ら。子に光吉、甥の直景の室となった尾張局ら。
諱は不詳。通称は弥六郎。官途は隼人佐(隼人佑)を称した。史料上の初見は天文21年(1552年)である[1]。
次男であったが、長兄の藤九郎が天文16年(1547年)に早世したため、嫡子に昇格。父の綱景が玉縄北条氏の北条綱成と親密な関係にあったため、綱成の娘・浄光院殿と結婚している[1]。
永禄7年(1564年)1月8日、第2次国府台合戦において父の綱景と共に討死した。法名は瑞鳳院殿月渓正円大居士[1]。
隼人佐と後妻か側室との間に生まれた娘・尾張局は、隼人佐の死により遠山家の家督を継承した弟・政景の嫡子である直景に嫁いだ[1]。
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